こころの栞

ご命日を大切に

2000年2月15日、ちょうどお釈迦さまの「ご涅槃の日」に私達一行はインド・クシナガラの涅槃堂の中、大きな寝釈迦さまの前で読経してきました。今から2500年ほど前、お釈迦さまはこの地で教化の旅を終えられ、御年80歳で沙羅双樹の下でお亡くなりになったのです。

「釈迦如来かくれましまして二千余年になりたまふ 正像の二時はおはりにき 如来の遺弟非泣せよ」という親鸞聖人の和讃のとおり、寝釈迦さまの前で我々は「悲泣」しました。特に、お釈迦さまの「祥月命日」にご涅槃のその現地で、寝釈迦さまにお参りできたことは深い感動だったのです。

仏教では「ご命日」を大切にします。親鸞聖人は11月28日、法然上人は1月25日、聖徳太子は2月22日、道元禅師は9月29日、日蓮上人は10月13日など、各宗派において毎月の月命日、毎年の祥月命日には特別の法会をつとめています。各家庭においてもご先祖のご命日を大事にされているはずです。「月参り」「おとき」などといって、住職が読経に回られるのもそのあらわれです。

私が子どものころは、「ご命日」を「精進日」と言って、魚肉を食べない日になっていました。「精進」とは「①《仏》修行にはげんで、よいおこないをすること。②忌中・法事のさい、なまぐさいものを食べないこと。肉食せずに菜食すること。③精進を打ちこむこと」(広辞苑)ということだそうです。「精進日」というのは②の意味です。

しかし近頃は食生活が変わってきて、忌中でも命日でも平気で魚肉を食べるようになっているようです。(イスラム教徒が「ラマダン」といって断食を厳守していることに比べて、我々仏教徒?の堕落は何と恥ずかしいこと!)あるべき仏教徒のすがたは、毎日仏の光に遇い、わが身を省みて仏道に励むことですが、せめて「ご命日」には①の意味で、心の精進だけでもすべきではないでしょうか。

仏前にお参りし、お勤めをし、読経に遇い、仏法を聞き、人に親切をする。要は「お念仏の生活をする日」としたいものです。親の命日も、宗祖のご命日もうち忘れて、我欲一点張りの日暮で一年終わるようなら大変。その人の品格が疑われます。

越前市 了慶寺住職(群萌同人)
藤枝 宏壽


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