「信楽」
以前の「心のしおり」欄に、越前市の了慶寺さんが「内愚外賢」の扁額を説明され、書家に書いてもらった、とありました。
扁額のシリーズでもありませんが、 私も定年退職となった年に、何か記念にと書家に書いてもらった文字がああります。その文字が標題の「信楽」です。
さてこの「信楽」、皆さんは何とよまれますか。 多くのかたは「しがらき」と読まれますでしょう。あの狸の焼き物で有名な滋賀県の信楽ですね。地名では「しがらき」ですが、私たち真宗では「しんぎょう」と呉音で読んでいます。信楽とは「信じて楽しむ」と書きます。信心歓喜とも言い、「弥陀の本願をしんじて歓ぶ」の意になります。平たく言いますと「念仏を歓ぶ生活」や「命あることに謝し、今日の一日を大事に生きる」こと、念仏申しながら「あぁもったい無い、ありがたい」と思う心でしょうか。人により領解はさまざまですが、信楽とは要するに「生かされていることに謝し、今を気持ちよく生きる」ことです。
退職に当たり出来合いの書を求めるのではなく、「自ら好む文字を書家に書いてもらおう」との気持ちが強く、当時私は、真宗教義の意欲的見解や著作でも高明な信楽峻麿先生と文通していたこともあって、迷うことなく「信楽」に決まりました。一方で私は真宗の同朋ですから、了慶寺さんの指摘された「愚」の文字は、生涯の指針として大事に頂いています。しかし扁額とするには畏れ多く、私には、荷が重すぎたのです。そしてまもなく、依頼した書が届きました。拝見してビックリです。理由はその書体が何とも剽軽だったのです。
その書家は名の知れた大家ですので、風格ある重厚な書体を想像していたのですが、届いた書は、重厚な書体にはほど遠く、滑稽と言うか、剽軽と言うか、当に狸の置物にそっくりの、軽妙な筆致であったのです。
真宗の信楽の意を知り尽くした上での筆致なのか、それとも焼き物の狸をイメージした上での、信楽の筆致なのかは、わかりません。しかし、表具された額縁の中で焼き物の狸がおどけるようなしぐさの筆致に大変満足し、大いなる安らぎを覚えました。
絵画を愛出るも良し、出来合いの書を飾るも良しですが、好みの文字を、高僧とか著名な書家に書いてもらうのは、なかなかの逸興と言えます。その道の大家からはなぜか風雅な趣が漂うものです。
何かの記念日には、心に残る文字を書いてもらったらいかがでしょう。立派な心のエステとなること間違いなしです。
南无 合掌
越前市円正寺住職 一峰 舜円