こころの栞

光のはたらき

「植物は、動物のように自分で歩き回って食べ物を得ることができないが、自分の体の中で栄養分をつくることができます。植物に必要な栄養分はでんぷんや糖分。これらの栄養分を太陽の光と、空気中の二酸化炭素と、根から吸い上げた水を使って、葉っぱの中の葉緑体というところで作りだしている。この仕組みを光合成といいます」と、ある小学校理科の本に書いてあります。

そして「自分で養分を作りだすことができるのは、植物だけが持っている特別な力で、植物は<生産者>といわれ、動物・人間はこの光合成で出てくる酸素を呼吸して活動し、植物が作った栄養を食べて生きているので<消費者>といわれる」ということです。

平生私たちは何とも思わずに広い野山の草や木を眺めていますが、その「緑」の中でこのようにすごい光合成がいつも行われていて、そのおかげで私たちのいのちが保たれているとは何と不思議なことでしょう!特に、光と葉緑体のしくみとはたらきー詳しいことは無学の私には分かりませんが、ここに何か秘密があるようです。

そこでふと思うのですが、仏さまの光と我々の煩悩の関係も、光合成にどこか似ていないでしょうか。

仏さまは、智慧と慈悲の光で、煩悩に満ちた私たちをお照らしくださる。煩悩とは貧(欲の心)、瞋(怒り)、痴(真理に暗い心)、慢(おごり、高ぶる心)、疑(仏智を疑う心)、見(自分の見解のみが正しいとする心)など、人間の精神生活を暗くする心の悪いはたらきのこと。しかも、そういう自分の煩悩が見えていないから「無明」という。如来はこの無明の中で苦しみ・悩む人間を救おうと、無量の光でお照らしくださる。仏さまのお姿を拝み、合掌・念仏し、法話を聞かせていただく…これがお照らしに遇うこと。

こうして仏の光に照らされると、愚かな我が身がだんだん知らされてくる…やがてこのような煩悩に満ちた私は地獄行きより他ないと心底から我が身に怖気が立つ、その時…「だからこそ、如来の光はあなたをおさめ取っているのだよ」とやさしく仏の光に包まれている我が身を教えられ、「あぁ、なんともったいないことやら」と、ご恩報謝のお念仏が出やまない。

如来の光がいつの間にやら煩悩を喜びに変えられている。「愚痴が感謝にかわる智慧」をいただいている。二酸化炭素(煩悩・愚痴)を酸素(お念仏・感謝)に「光合成」されている。そして浄土に生まれていく栄養(大願業力)をいただいて、この世から救われていく道を、毎日歩ませていただいているのだ…。

何か、このような連想をして、心たのしく、光のはたらきを味わったことです。

越前市 了慶寺住職(群萌同人)
藤枝 宏壽


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