こころの栞

「ただす月」

初春のお慶びを申しあげます。皆さまにはどのようにお正月をお過ごしでしたでしょうか。かつて、「正月は『ただす月』と読むんだよ」と教わったことを思い出しています。仏教各派でも、新年最初のお仏事を「修正会」と呼んで厳かにお勤めがなされます。新たな年を迎えさせていただいたことをご縁として、過ぐる年と今を省み、踏むべき道を修正する月と理解しています。

昭和40年半ばごろ、歌手のアン真理子がヒットさせた楽曲の中に「明日という字は明るい日と書くのね…」というフレーズがあり、とうじの多くの若者たちに生きる希望と勇気を与えてくれました。綾小路きみまろではないけれど「あれから50年…」、いまを生きる私たちはどうでしょうか?

私も含めて老若男女多くの人々は、身の内からとめどなくわき出る欲望(煩悩)にまかせて、数学化された物質的豊かさと、生産効率の追求、人間力の退化をまねくほどの生活の利便性等を追い求め、結果言いしれぬ疲労感と暗澹たるストレス社会を醸成しているのではないでしょうか。

これによって起こる本源が一人一人の心のうちに、ひそやかに、しかも、どしぶとく息づいている我愛、我執、我欲の自己中心性にあることを知らせてくださりながら、やがて、その我見、偏見、邪見の思い込みの自縛から、解脱のいのちを生きる私へと導き、あるいは、掬いとってくださるのが仏教のお働きです。

我見、邪見を押し通して、争いと人権を踏みにじる差別を生みだし、我が身よかれの我欲から、他と自らを損なう生き方から、不完全ながらも仏典に説かれている「小欲知足」「知恩報徳」をこころがけていきたいものです。

浄土真宗本願寺派布教使
谷間 徹誠



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